(いぬのハチ)

レベル1 (初級)
犬のハチ
ハチは犬でした。
日本に住んでいました。
ハチは1923年に生まれました。
ハチは小さくて茶色の犬でした。
やさしい目をしていました。
ハチは秋田犬でした。
ある日、男の人がハチをもらいに来ました。
その人は先生でした。
名前は上野先生でした。
先生はハチを家に連れて帰りました。
ハチと先生はうれしかったです。
友だち
先生はハチを大切にしていました。
ハチも先生が大好きでした。
ふたりはとてもなかよしでした。
毎日、先生は仕事に行きました。
電車にのって行きました。
駅は渋谷にありました。
ハチは先生といっしょに駅まで歩きました。
先生は「ハチ、行ってきます」と言いました。
それから、ハチは家に帰りました。
夕方になると、ハチはまた駅に行きました。
駅で先生を待ちました。
先生が帰ってくると、ハチはそこにいました。
先生はにっこり笑いました。
ふたりはいっしょに家に帰りました。
毎日
ハチは毎日、これをしました。
朝、駅まで歩きました。
夕方、駅で待ちました。
人々はハチを見ました。
ハチが好きになりました。
「かしこい犬だね」と言いました。
先生はうれしかったです。
「ハチは忠実です」と言いました。
「忠実」は、いつもそばにいるという意味です。
ハチは先生のことが大好きでした。
悲しい日
ある日、先生は仕事に行きました。
「ハチ、行ってきます」と言いました。
でも、その日は帰ってきませんでした。
先生は仕事中に病気になって亡くなりました。
駅に帰ってくることはありませんでした。
ハチは待ちました。
一晩中、待ちました。
でも先生は来ませんでした。
ハチは悲しかったです。
ハチは待ちつづける
次の日、ハチはまた駅に行きました。
先生を待ちました。
でも先生はいませんでした。
駅にいた人たちはハチを見ました。
食べ物をくれました。
水をくれました。
みんなハチにやさしくしました。
毎日、ハチは駅に来ました。
先生を待ちました。
何年もあとで
ハチは何年も待ちました。
1年、2年、3年…
10年も待ちました。
日本中の人がハチのことを知っていました。
ハチを大好きになりました。
「ハチはいい犬だね」と言いました。
「ハチは忠実だね」と言いました。
1935年、ハチは亡くなりました。
年をとって、つかれていました。
駅で亡くなりました。
ハチのための像
人々はとても悲しみました。
ハチをおぼえていたかったです。
だから、像をつくりました。
渋谷駅にあります。
今でも、たくさんの人がその像を見に行きます。
写真をとります。
ハチのことを考えます。
「いい犬だったね」と言います。
ハチは愛のしるしです。
忠実のしるしです。
レベル2 (中級)
ハチ:忠実な犬
1900年代のはじめ、日本で一匹の小さな秋田犬が生まれました。名前はハチでした。東京大学の親切な上野教授がその子犬を引き取り、東京のにぎやかな地域である渋谷に連れて行きました。
ハチと上野教授はすぐに親友になりました。毎朝、教授は仕事へ行くために渋谷駅まで歩きました。ハチはいつも一緒に歩きました。別れのあいさつをした後、ハチは駅で教授が帰ってくるのを夕方まで待ちました。そして、二人は一緒に家へ帰りました。
これは毎日の習慣になりました。駅の近くの人たちは毎日ハチを見かけました。ハチの姿はおなじみになり、多くの人がその犬を見て微笑みました。
しかし、ある日、とても悲しいことが起こりました。上野教授はいつものように仕事に行きましたが、戻ってきませんでした。大学で心臓発作を起こして亡くなってしまったのです。教授はもう渋谷駅に戻ることはありませんでした。
ハチにはそのことが分かりませんでした。駅で待ち続けましたが、教授は来ませんでした。次の日も、またその次の日も、ハチは駅に行きました。毎晩同じ場所で、友だちに会えることを願って待ちました。
日々は週になり、週は月になりました。それでもハチは待ち続けました。
最初は、ハチを迷い犬だと思う人もいました。しかし、駅員や店の人たちは教授のことを覚えていました。だから、ハチがなぜそこにいるのかを理解しました。かれらはハチに食べ物をあげ、世話をし始めました。多くの人がハチの忠実さに心を打たれました。
ハチはその後も、約十年間駅で待ち続けました。雨の日も晴れの日も、夏も冬も、同じ場所で待ちました。日本中から人々がハチを見に来ました。新聞にも、「あきらめない忠実な犬」としてハチの話が取り上げられました。
1935年、ハチは駅で亡くなりました。年を取り、疲れていました。その死は多くの人を悲しませましたが、人々は同時に誇りにも思いました。ハチは、忠実さ、友情、そして愛の意味を世界に示したのです。
現在、渋谷駅にはハチの銅像があります。その銅像は1934年、ハチが亡くなる一年前に作られました。渋谷に行くとき、多くの人が「ハチ公の下」で待ち合わせをします。この銅像は、日本でもっとも有名な待ち合わせ場所の一つです。
毎年4月8日には、多くの人がその銅像の前に集まり、ハチを思い出します。花を持ってきたり、写真を撮ったり、涙を流す人もいます。
ハチの物語は、愛と忠実さが永遠に続くことをわたしたちに教えてくれます。大切な人がいなくなっても、本当の友達は決して忘れません。
レベル3 (上級)
忠実な仲間、ハチ
東京の忙しい街、渋谷駅のすぐ外に、犬の銅像が建っています。毎日、何千人もの人々がその前を通りますが、その背後にある物語を知っている人は多くありません。犬の名前はハチ公、短くして「ハチ」と呼ばれていました。これは忠誠、愛、そして喪失の物語です。
ハチは秋田犬という犬種で、力強さ、知能、そして忠誠心で知られています。1923年に日本の北部で生まれ、後に上野英三郎という教授によって東京に連れてこられました。上野教授は東京大学で教えており、すぐにハチと強い絆を築きました。毎朝、ハチは上野教授と一緒に駅まで歩き、午後3時丁度になると、教授の帰りを待つために駅に戻ってきました。
この日課は毎日続きました。近所の人々はハチのことを覚えるようになり、その忠実さに感動しました。しかし、1925年5月、悲しいことが起こりました。上野教授が勤務中に脳出血で急に亡くなったのです。彼は二度と駅に戻ることはありませんでした。
それでもハチは何が起こったのかを理かいできませんでした。翌日も、その次の日も、ハチは駅に現れて、教授の帰りを待ち続けました。約10年もの間、ハチは毎日午後に駅へ通い、もう一度主人の顔を見ることを願っていました。雨でも、雪でも、晴れていても、彼は毎日待ち続けました。時が経てばいつか教授が帰ってくると信じていたのです。
最初は、何人かの人がハチを追い払おうとしました。しかし、ハチの献身に心を打たれた人々が、食べものを与えたり、世話をしたりするようになりました。ハチは忠誠の象徴となり、その物語は日本中に広まりました。そして1934年、ハチを称えるために渋谷駅に銅像が建てられました。ハチ自身もその除幕式に出席しました。
ハチは1935年に安らかに亡くなりました。その頃には、ハチの物語は日本全国に知れわたり、やがて世界にも広まりました。本や映画、記録映像が作られ、2009年にはハリウッド映画『HACHI 約束の犬』が公開されました。リチャード・ギアが主演を務めました。
今日、ハチの銅像は東京でもっとも有名な待ち合わせ場所の一つになっています。世界中からの観光客が訪れ、写真を撮ったり、ハチの物語を学んだりしています。多くの人にとって、ハチはただの犬ではなく、忠誠心、愛、そして本当の絆の希望を象徴する存在です。
目まぐるしく変わる現代において、ハチの物語は、大切な人への想いを貫くことの意義を教えてくれます。たとえもう会えなくても、私たちが示す愛は永遠に残るのです。
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